連日全国各地で熊による被害があり、秋田県では熊の駆除を積極的に行なっていく方針を打ち出しました。
この熊の駆除に反対している環境保護団体に「日本熊森協会」という団体があります。
その日本熊森協会の名誉会長が森山まり子さんです。
森山まり子さんはどんな人なのでしょうか?
今回は日本熊森協会の名誉会長・森山まり子さんの経歴やプロフィールを調査してまとめました。
森山まり子のプロフィール
森山まり子さんのプロフィールです。
名前:森山 まり子(もりやま まりこ)
生年月日:1948年
年齢:75歳
出身地:兵庫県尼崎市
学歴:大阪教育大学
職業:日本熊森協会 名誉会長
森山まり子の経歴
大阪教育大学で物理を専攻
1992年:兵庫県尼崎市立武庫東中学校・理科教諭
生徒たちと自然保護活動を始める
1997年:元教え子たちと実践自然保護団体「日本熊森協会」設立
2003年:教師を辞める
2007年:小冊子「クマともりとひと」初出版
2010年:「日本熊森協会」は一般財団法人となる
2010年2月:「日本奥山保全・復元学会」設立
2011年:「日本奥山保全・復元学会」閉会
2012年8月:「日本奥山学会」設立
2018年:「日本熊森協会」の名誉会長に就任
森山まり子さんは兵庫県尼崎市立武庫東中学校で理科の先生をしていて現代生態学を教えていました。
在職中の1992年、絶滅寸前のツキノワグマを救いたいという生徒たちの思いがきっかけで「クマ保全活動」を立ち上げます。
生徒たちと集めた著名を持って兵庫県知事に直訴したり、天皇皇后両陛下に手紙を書いたりしたそうです。
その結果、1994年5月に兵庫県ツキノワグマ狩猟禁止が発表されました。
森山まり子さんは1997年に大学生になった元中学生たちと「日本熊森協会」を設立します。
設立当初は無給で活動していたそうで、協会の活動費は教師の給料から捻出されていたそうです。
「国策に意見が言えるよう、国からの援助はもらわず会長は無給」と決め、教師と“熊森”の二足のわらじをはきながら過酷な日々を過ごしました。なぜなら、当初、同協会の活動費はすべて森山さんの教師の給料で賄われていたから。
引用:ネイチャー生活倶楽部
自分の給料で活動していたなんてすごい熱意ですよね。
やがて活動の輪が広がって2003年春に教師を辞め、日本熊森協会の活動に注力していきます。
現在では日本熊森協会の支部は全国に27支部あり、会員数は2万人を超えるまでに大きくなりました。
日本熊森協会の主な活動は以下です。
- 森を守る
- 奥山の再生
- 野生動物の保護
- 環境教育
- 政策提言
野生動物の生息地を確保するために人工林を協会で買い取り、間伐や皆伐を行って天然林にしていく森づくりを取り組んでいます。
森林破壊が進む現代で森の生態系を守るために活動されているんですね。
また、イノシシなどの罠に誤捕獲された熊を引き取り飼育する活動もしています。
飼育して熊とふれあえばどのような習性をもつ動物なのかがわかるそうです。
クマは本来、とても臆病で賢い動物です。飼ってみれば分かりますが、人の言葉だって理解できる。人身事故が起こることはあっても、それは人がクマを脅かしたり、怖がらせたりしてパニックを起こさせているから。クマに人を襲う習性はありません。
引用:ENCOUNT
その他野生動物の保全のために様々な活動を行なっていて、
森山まり子さんは全国各地で講演会や大型野生動物保護活動などを行なっています。
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